(短編)誰かが引いた線



 

 

「あっ、会長!」

 この学校で人から会長、と呼ばれるのは一人だけ。

 先生の推薦で、高校一年の後半には生徒会に所属していた。そのままずっと経験を積んで、自然な流れで会長に立候補して、生徒会長になった。他に立候補者もいなかったから、誰かと争う必要すらなかった。

 立ち止まって体ごと振り返る。

「なに?」

 声をかけてきたのは最近入ったばかりの後輩。会計という名目で、同じ会計担当から引継ぎを受けているはずだ。

「今月分の会計書類できたので、確認お願いします!」

 パッと花が咲くような笑顔が後輩の顔に浮かぶ。

 少し先生方に用事があって、職員室に行ったあと教材室をのぞいてみたりと校舎を歩き回っていたから、見つけるのはなかなか大変だったと思う。

「ありがとう。わざわざ探しに?」

「なんか先生がとにかく早くって言ってたけど、会長いつ戻るかわからなかったので!」

「そう……、じゃあ今から生徒会室に戻って確認するわ」

「わたしは予定があるのでこれで失礼します!」

「お疲れ様、気をつけてね」

 お疲れ様です!と勢いよく頭を下げてから踵を返して去っていく後輩の背を見送ったまま、彼女はそこを動かない。

「……」

 彼女はあの子のように大きな声を出したことがない。デニム素材のリュックなんて持ったこともない。

 昔から優秀であれと育てられた。優等生でいなければと思って生きている。

 静かに目を閉じれば、そこに浮かび上がる線。彼女はただ、その上をまっすぐに歩いてきて、これからも歩いていく。

『さすが生徒会長ね!』

『きみは誇りだよ』

 完璧の仮面さえかぶっていれば、毎日はとても単調なものになる。皆が褒め敬い、笑いかけてくれる。

 最後に怒られたのはいつだっただろう。

 目を開けて、手元の書類を見た。どの先生にもわかりやすくまとまっていると褒められた。

 不意に、前から走ってきた男子生徒と肩がぶつかり、その拍子にそれは彼女の足元に散らばった。

「あ、わりいっ!」

 男子生徒はそれに気づいて、わざわざ拾ってくれる。彼女もゆっくりとその場にしゃがんで無言でそれを拾い出した。

「ほんっと悪かった!」
「……いえ、私もぼうっとしていたから」

 自分で拾った資料の上に彼は無造作に積んで、手を合わせて謝ってくる。彼女が首を横に振ると、彼は驚いたように顔を上げた。

「なに?」
「や、会長でもぼうっとすることあるんだなーって!」

 ニカッと歯を見せて笑った彼。彼女は眩しいものでも見たかのように、目を細めた。

「あ、やべっ、急いでたんだった! じゃ、ぶつかってすみませんでしたっ」

 彼が横を駆け抜けていく。廊下は走らないように、なんて彼女にとって当たり前の注意も口から出ない。
 ーー彼のように、なにも気にせず廊下を走ってみたい。

「…………」

 ぼんやりと彼の背を見送って、その姿は廊下の角で消える。またしばらくぼんやりとして、ふっと仕事を思い出した。

 彼女は足を一歩踏み出す。廊下にはペタペタと、一人分の歩く足音が響いた。

 


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