(短編)憧れは形を変えた



 

 

「っ、きゃあああぁぁぁぁっっ!」

「もー、朝から大きな声でなぁにー」

「お母さんってばどうして起こしてくれなかったのよぅっ!」

 ドタバタドタバタと家の中を物凄い足音を立てて駆け回る娘に、台所に立っていた母はあらあらまあまあ、と頬に手を当てる。

「母さん、ちゃんと起こしたものー」

 しかし、そんなのんびりした母の言葉は聞こえていない。

「今日は朝ごはんいらないっ! いってきますっ」

 慌ただしく出ていった娘の残像に、母はいってらっしゃいと声をかけた。

 

 

 中途半端に背負っていたリュックの紐が落ちてくるのを直しながら、走る。うっかり寝坊したおかげで、朝食も抜き。

「なんでこんな日に限って寝坊しちゃったんだろ私のばかーっ!」

 今日は密かに憧れているサッカー部の先輩の朝練がある日だったのに。週一しかないその日を楽しみにしていたのに。苦手な早起きだって頑張っていたのに。絶対いつかやらかすだろうなとは思ってたけど!

 もちろん放課後の練習だって欠かさず通っている。でもやっぱり、朝から先輩が見れたら、それだけでなんだか一日ハッピーな気持ちになれるんだもん。

「泣きたいっ!」

 うじうじと一人言をこぼしながら予鈴直前に校門を走り抜けて、いないとはわかりつつも、ついついサッカーグラウンドに目を向けてしまう。

 綺麗に整備されたグラウンドに、一個だけぽつんと忘れ去られたサッカーボール。きっと誰かが片付け忘れたんだろう。

 あーあ、今日も先輩、かっこよかったんだろうなぁ、って。イケメン揃いと言われるサッカー部の中だと、先輩もかなり人気がある方。部活中は女子の黄色い声援やら、熱い視線がそこかしこから飛ぶ。そこには入れない私はいつも少し離れたところから見ているだけ。そんな私のことを先輩が知るはずもないけれど、私は見ているだけで十分だった。アイドルに憧れるファンの気持だ。

 また落ちてきたリュックの紐を直しながらよそ見をしていた私は、グラウンド周りを囲むフェンスの角から人が出てきたことに気付かなかった。

「、きゃっ」

 ドンッと勢いよくぶつかり、跳ね返って後ろに倒れそうになる、が。

「……っ悪い! 大丈夫か!?」

 腕を掴まれ引き寄せられる。そしてそのまま私は、その人の胸に飛び込む形となった。

「す、すみませ……っ!?」

 慌てて顔を上げた私は、息を呑んだ。

「や、見てなかった俺も悪かった」

「せ、せんぱい!」

 その人は、なんとびっくり。いつも見ていた先輩本人だった。

「すみませんごめんなさいありがとうございますっ!」

 最初固まっていた私は、先輩に受け止められこのうえなく至近距離にいるという状況に気付いた途端、とにかく恥ずかしくて、慌てて距離を取る。

 あわあわとしている私にきょとんとした表情を見せた先輩は、でもすぐに笑顔になった。

「時間やばいし、俺行くな。お前も気をつけてな」

 先輩はじゃあな、と手を振ると先に走っていってしまった。

 それをぼんやりと見送った私の頬は、いつもよりずっとずっと、熱い。

 

 ふわふわとした憧れに、言葉ひとつを注がれて。それは明確に、緩やかな弧を描きながら、形を変えた。

 

 

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